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- 世界最大手エンジンメーカーに認められた「Chockfast」
戦後から日本の造船を支えてきた誇り
現在、日本は世界第3位※ の造船大国 である。
高い技術力を持つ日本の造船所が、世界を支えてきたと言っても過言ではない。
原田産業にとって造船分野でのビジネスは60年以上もの歴史を誇り、造船ビジネスは現在も原田産業の柱の1つとなっている。そのビジネスの始まりは終戦まで遡る。敗戦国として貧しかった日本において、復興基盤となっていたのが造船産業だった。原田産業としても、事業拡大のためには利益が見込める造船業界へ参入する必要があった。
とはいえ造船業界につてはない。
ある時、営業先の担当者が「原田商事」という別の会社と勘違いしたことから、造船用の工具の見積依頼を受ける。きっかけは勘違いというアクシデントではあったが、そこから活路を見出していった。この小さな工具の取り扱いが、やがて大型機械へと広がり、今に続くビジネスの礎となったのである。
この造船事業に長く関わっているのが、機械チーム(以下「MCチーム」)だ。
現在MCチームでは、真空式トイレ装置や配管関連製品などの高品質・高付加価値の機器や資材を、主に欧州から輸入し、販売している。
船舶業界のスタンダードになる
MCチームの主力商品に「Chockfast(チョックファスト)」がある。
同製品は1970年代から取り扱っており、決して新しい製品ではない。しかし、MCチームだけでなく原田産業にとって重要な製品だ。なぜなら、造船業界において「Chockfast」=原田産業と認識されるまでに、原田産業の名を強く印象付けた製品だからだ。
「Chockfast」は、長年続いてきた造船工法を一気に塗り替えた画期的な製品であった。
船舶のエンジンや発電機などの大型機器は、機関室にただ置くのではなく、しっかりと据え付けなければならない。船は大きな鋼板を溶接して作るため、機関室の床(甲板)には目に見えないひずみがある。大型機器などを設置すると、甲板と機器の間にどうしても隙間が生じてしまう。隙間をそのままにしていると、振動などによってひび割れが生じ、破損へとつながってしまう。結果、大きな事故を引き起こしかねない。
そのため、鉄板を削って摺り合わせ、その隙間にぴったりと埋め込む鉄ライナーという工法で据え付けを行っていた。それは熟練の技術が必要な、緻密な作業だった。
ところが、「Chockfast」はエポキシ系樹脂のため、流し込めば固まり、誰でも簡単に施工することができる。これが画期的であった理由だ。
今や「Chockfast」は、造船業界のスタンダードになっており、「なければ船が造れない」と言われるほどの存在になっている。
省力化がキーになる
「Chockfast」を扱う以前、1960年代初頭。
その頃の日本は欧州よりも労働賃金が安く、安価で船を建造できるメリットがあった。そのため、日本の造船所では外国船籍が数多く造られていた。しかし、それから5、6年もすると、造船産業は労働賃金のより安い国へと徐々にシフトしていった。
MCチームは、いずれ日本での外国船籍の建造量は減ると危機感を募らせた。
そこで着眼したのが「省力化」だ。無駄を抑え、コストを下げれば外国と闘えると考えたのだ。省力化に役立つ製品はないだろうか? と考え、見つけたのが、フィラデルフィア レジン社のエポキシ系樹脂「Chockfast」だ。この製品は自動車などの機械製品の隙間を埋めることに使われていた。これを造船に応用することを考えたのだ。
前出の鉄ライナーの摺り合わせ作業は重労働であり、手間がかかっていた。それを「Chockfast」で埋めれば、誰でも簡単に施工ができる上に、工数も削減できて省力化にもなる。しかし、「Chockfast」を提案しても、理解が得られず、検討すらしてもらえない日々が続いた。そこで、新造船を狙うのではなく、修繕の段階で採用してもらうことを計画。これが功を奏し、アメリカ船の修繕において「Chockfast」が使われることになる。1975年のことだ。
また、これだけ営業しても上手くいかないのは、提案に説得力が足りないからではないかと考え、フィラデルフィア・レジン社のマネージャーを日本に呼び寄せ、神戸に常駐してもらうことを決断。マネージャーに技術サポートとして営業に同行してもらい、世界における「Chockfast」の実績と、顧客が懸念しているエポキシ系樹脂の特性と信頼性を説いて廻った。このことで徐々に海外船での修繕実績を積み上げて行くこととなる。
次の段階は、日本船主船での修繕実績を作ることだった。
しかし、そこでまた大きな壁にぶつかる。
その頃、「Chockfast」は英国、アメリカ、フランス、ノルウェーで船級証書を取得していたが、日本では未取得だった。日本船主に採用してもらうためには日本海事協会(ClassNK)の船級証書は必要不可欠。ところが、船級証書を求めて日本海事協会に掛け合っても、実績がないものに許可は出せないの一点張り。実績があるといくら訴えても海外の船では話にならないと跳ね返される。
そんなあるとき、定期的にドック入りしている日本船主船で、エンジン締め付けボルトが毎年破損しているという情報を聞きつける。すぐさま駆け付け、「Chockfast」を使えば問題は解決できると提案。すると、アメリカ船修繕での実績を考慮した工務監督が国内船主として初めて採用を決定。これがきっかけとなり、日本船主船での修繕採用が増加。日本海事協会の船級証書申請への足がかりとなった。
世界最大手のエンジンメーカーが採用 ― そして販路拡大へ
さらなる「Chockfast」の拡大のため、営業スタッフを増員。修繕船への営業を開始したが、狙うはあくまでも新造船での採用。
しかし、保守的な日本の造船所において、新造船での採用は暗礁に乗り上げる。そんな中、作業効率化に前向きな造船所の機装設計課長の存在を知る。
その課長から、船主の了解が得られれば採用したいとの意志を確認し、船主企業を訪問。発電機固定での試験採用にこぎつける。そして見事「Chockfast」でも問題がないことを実証した。
この実績を武器として他の造船所への波及を図りたい。次に挑んだのが船の要であるエンジン固定での採用だった。エンジン固定で採用されると、大きな実績になると共に、造船所にとってはコストダウンと省力化が可能となる。
そんな折、ある造船所で「Chockfast」によるコスト削減効果に眼を付けている人物がいるとの情報をキャッチする。その造船所は、過酷な労働環境を改善したいと考えていたのだ。ここでも、交渉の末、試験採用にこぎつける。
ところが、またもや問題が発生する。今度は世界最大手でもあるエンジンメーカー企業が、その船のエンジン固定に「Chockfast」の使用は承認しないと言いだしたのだ。
もちろん、それに屈するわけにはいかない。
性能試験結果での「Chockfast」の信頼性を強烈アピール。苦労の末、採用の承認を勝ち取る。そのことが国内での標準採用へと向かう決定打となり、1978年頃からは、国内の大手造船所が次々と「Chockfast」を採用するようになった。
原田産業で伝説を作る
「Chockfast」の売上は、1994年から年々拡大していき、2008年には過去最高を記録した。
なぜそれが可能だったのか?
1994年当時、MCチームは大手造船所相手のビジネスは頭打ちの状態で悩んでいた。そこで中小の造船所に活路を見出そうとした。大手造船所で年間に建造される船は数十隻程度。しかし、中小造船所なら年間で200隻は作る。1隻での使用量は少なくとも、蓄積されれば膨大な量となる、そう考えたのだ。
早速、全国の中小造船所に対して積極的な営業を展開。エンジンや発電機以外の新しいアプリケーションでの採用にも力を入れた。その結果として、売り上げが大幅に伸びたのだ。
もちろんそれは、原田産業の先人達が築き上げてきた実績と、「Chockfast」の知名度があったからこそ。それでも、未開拓であった中小造船所への拡販により、「Chockfast」の可能性を広がった。そこに、MCチームの努力があったのは事実だ。
造船は原田産業を象徴するビジネスのひとつだ。
造船を取り巻く環境は厳しく、今後の日本造船業界の動向は注視していく必要がある。しかし、日本から造船ビジネスがなくなることはないだろう。
原田産業には、造船の火を次の世代へ引き継ぐ使命がある。顧客と共に日本の造船を支えていることが、原田産業の誇りだ。
日本の造船業界に新しい風を吹き込む。その挑戦に終わりはない。
※出典:一般社団法人日本船主協会 海運統計要覧2021(造船国別竣工量推移(2019年))https://www.jsanet.or.jp/data/pdf/2021data20-2.pdf