PROJECT STORY

ドクターの熱い想いから生まれた「気管支充填材 EWS」

「気管支充填材 EWS(Endobronchial Watanabe Spigot)」という小指の爪ほどの大きさの医療機器がある。故 渡辺洋一医師 が生んだこの小さな機器は、現在多くの患者を救っている。 これは、メディカルチームがEWS普及の前に立ちはだかった大きな壁に挑んだ物語である。

医療機器

共創・共育

一本の電話
1999年のある日のこと。岡山の医療機器代理店からメディカルチーム(以下、「MEDチーム」)に1本の電話が入った。
「あるドクターからの依頼で、医療機器の製品化に力を貸してもらえないだろうか」という趣旨であった。依頼の詳細を聞き、かねてより取引のあったフランスの会社に声をかけたところ、製品化を受諾。話はそれで終わるはずだった。
しかし、新しいコンセプトの医療機器のため、有効性と安全性を証明する治験なしでは、医療承認を得ることはできない。治験を行うと、通常5~6億円はかかる。さらに、マーケットサイズが分からない段階のため、簡単には手を出せない状況であった。
やむなく、MEDチームはドクターが医師免許を使って個人輸入するのを、利益を取らずサポートすることで携わっていた。その期間は、10年以上に渡った。

気管支充填材 EWS の誕生
1989年、渡辺医師は岡山赤十字病院に勤務していた。その頃渡辺医師は、敗血症患者の治療を行っていた。
患者は人工呼吸器での呼吸補助を必要としていたが、ある日、気管支に穴が開き、腎臓への空気漏れが起きた。様々な処置を行うも、予後不良であることは受け入れざるを得ない状況であった。考え抜いた末、歯科用シリコンで手作りした小さな「栓」を気管支に詰めてみたところ、病状は順調に改善。その後、患者は無事退院することができた。
これが、気管支充填材 EWS(以下、「EWS」)の始まりである。



その後、難治性気胸の患者に対し、手作りの充填材を用いて治療を行ったところ、助けられる患者が多かった。そこで渡辺医師は、より多くの患者を救うため、製品化を検討するようになる。
1999年、渡辺医師は国内のシリコン材料医療機器メーカー2~3社に製品化を持ちかけた。しかし、前出のような治験等の問題があり、全て断られてしまう。
そこで、「日本がダメなら海外で」と、地元の代理店を通じて原田産業に連絡がきたのだ。事業として成功するかどうかは不透明ではあったが、「きっと多くの患者を救うことになる」と信じ、長年取引のあったフランスのメーカーへ相談したところ、製品化に応じてくれた。すぐにメーカー担当者の来日と、渡辺医師との打合せをセッティング。いくつかの試作品を経て、EWSは完成した。

2000年頃から、ドクターによる個人輸入によって徐々にEWSの症例が増え始めた。そして、EWSの有効性・安全性が種々の医療学会で発表されることで、医師免許を使っての個人輸入は全国の病院へと広がった。4年ほどの歳月をかけ、EWSは多くのドクターに認知されるようになったのである。

しかし、より多くの患者を救うためには越えなければならない大きな壁 - 医療承認 - があった。EWSは医療承認を取得していないため、保険の対象にならなかったのである。つまり、使えば使うほど、病院が赤字になる状況であった。
渡辺医師の願いは、EWSが保険で使用できるようになり、より多くの患者を救うこと。原田産業は、渡辺医師と心を同じくする部分はあったが、投資金額とマーケットサイズを考えるとゴーサインを出せずにいた。
それでも、MEDチームは今自分たちにできることを粘り強く模索し続けていた。



最大の壁への挑戦
2008年頃になると、渡辺医師だけでなく、多くのドクターからEWSを保険で使用できるようにしてほしいという声が届くようになっていた。
この頃、厚労省の担当者から、希少疾病用医療機器に指定されると、国から数千万円の助成金が得られ、治験の症例数も減らすことができるとのアドバイスを受けた。この指定を受けることを条件に、原田産業は本格的にEWSの医療承認取得へ動くことを決断した。

早速、コンサルタント会社に依頼してデータを集め、申請書を作成した。
コンサルタント会社によると、申請が通る可能性は半々。医療機器メーカーではない企業からの依頼ということで、簡単には通らないだろうとの見立てであった。案の定、手続きには時間を要したが、2009年ようやく指定を受けることができた。申請から1年が経過していた。
2010年、原田産業の投資に加え、国からの助成金(実際の費用支給は、治験終了後に行われた)によりEWSの治験が開始された。
2011年治験終了。2012年医療承認を申請。2013年、ついに医療承認を取得。
2008年にプロジェクト推進のゴーサインが出てから5年の歳月が過ぎていた。



しかし、まだ終わりではなかった。
医療承認を取得したことで保険は適用されるようになったものの、日本では外国製医療機器の保険償還価格(以下、「償還価格」)を、海外における実勢価格(病院の仕入価格)の1.5倍までしか認めないとするルールがあった。一方原田産業は、治験に要した投資金額を回収するためには、販売価格を償還価格以上に設定するしかなかった。それでも、回収には70年近くかかる計算であった。つまり、病院がEWSを使用すればするほど赤字が出る状況には変わりなかったのである。
それでも、全国の基幹となる病院は使用してくれた。
これは、EWSを使用するドクターや、それを認めた病院にとっても、大きな挑戦、そして決断であった。
MEDチームは、ドクターたちの熱い想いが届くことを信じ、学会のプレゼンの場で1.5倍ルールの矛盾点を問い、償還価格を上げてほしい旨を訴え続けた。

一方で、嬉しいこともあった。
2016年、デューモンステント、硬性気管支鏡、EWS等の普及で呼吸器インターベンションの発展に貢献したとして、MEDチームの社員が日本呼吸器内視鏡学会より名誉ある「宮澤賞」を受賞したのである。ドクターたちの熱い志を少しでもサポートできていたのだと実感できた瞬間だった。

2018年、無理を承知で厚労省に提出していた不採算要望書が認められ、償還価格は従来価格の約3倍に引き上げられた。これにより、病院もEWSを使用しやすくなり、原田産業の投資金額の回収期間もぐっと短縮された。償還価格は、保険点数の見直しで2年に1度下げられるのが通例で、3倍にも引き上げられるのは異例中の異例であった。厚労省の償還価格決定ルールに異を唱えてきた、その並々ならぬ思いが実を結んだ瞬間であった。



共に挑戦するパートナーとして
渡辺医師による気管支充填材の考案から、日本の医療保険で使用できるようになるまで24年、厚労省に不採算要望書が認められ、適切な価格で医療現場に供給できるようになるまでには29年もの年月を要した。

渡辺医師は自著の中で、「保険適用までの道のりがあまりに長く、何度も心が折れそうになった」※と回想している。EWSの医療承認取得の知らせを受けた際は、心の底から喜びを感じたという。
渡辺医師は、EWSの医療承認取得を見届けた後、2013年11月に天国へと旅立った。

現在、EWSにより皆がWin- Winの状態と言えるかもしれない。
・ドクターにとっては、患者を救うことができるやりがいのある治療である。
・患者は早く退院できるため、QOLが高くなる。
・患者が早く退院すると、国は医療費を削減できる。
・原田産業は社会貢献ができ、将来的には投資金額も回収することができる。
また、このプロジェクトがきっかけで医療関連学会やドクターから認知されるようになり、新商品開発も行いやすくなった。

原田産業は、医療機関でも医療機器メーカーでもない。
だからこそ、常に自由な発想で多くの知識や情報を取り入れ、商社にしかできない挑戦を通じて、最前線に立つ医療従事者と共に患者を救うのが、MEDチームの使命だ。
MEDチームは、医療のこれからを支えるために、共に挑戦し、共に成長するパートナーであり続ける。

※出典:渡辺 洋一 「新しい医療への挑戦」 44~52頁